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与太話、四方山話、法螺話

どうでもいい話、私にしか意味のない話。

「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。11」読了

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。11」amazonで購入したのが今日届いて、1時間ちょっと?で読了しました。 感想です。多分読んだ人にしか何を言っているかわかりません。まぁ自己満足ブログだし。ネタバレ無しで行こうと思っていたけど、最後の方はネタバレになっちゃってたので、色々間違って偶然このサイトに来ちゃった人は気をつけてください。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。11 (ガガガ文庫)

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。11 (ガガガ文庫)

 

 今回の11巻にはアニメ12,13話(13話はまだ見てないけど)の内容を含んでいるようで、まぁ物語の終わりに向けて話が進んで行く様はちょっと不安な感じもしましたが、読む前のアニメやあらすじ、何より表紙から感じた程には暗くなかったですね。どうすればいいかわからないキャラだけじゃなく、ちゃんと前を向いているキャラもいて。

アニメ12話までで11巻の2/3が消化されていて、結構削っているシーンが多かったですね。特に気になったのは、平塚先生と陽乃の短い会話。あの二人の関係についてはそういえば今まで何となくでしか描かれていなかったですが、やはり平塚先生は作中のキャラの中で一番年上なので、他のキャラとは違った関わり方をしていて、大人らしい安心感があります。本当素敵だな、平塚先生。

 

どうもアニメとかを見て、彼らの恋愛方面ばかりに目がいっている人が多い気もしますが(まぁ題名にラブコメって入ってるから仕方ないけど)、当然彼らが間違っていたり、問題にしているのは別にそこだけじゃないですからね。多分、普通の人は見ないふりをしていたり、「それはそれで」って言える人間じゃない人達のお話がこの作品なんじゃないかとか、そんな事を思いました。実際にああいう人間関係について真面目に話せる人って、あんまりいないですよね。そういう話を振っても、割りと流しちゃったりとか、適当に合わせたりとか。それはいつも僕が感じていることなので、ちょっとこの作品のキャラ達が羨ましいです。高校生時代にそういう事を誰かと考える時間があって。

 

そしてやっぱりラストの引きが素晴らしい。やはり進むきっかけを与えてくれるのは彼女だったなって思いますね。クリスマス編では比企谷が問題解決のきっかけでありましたが、やっぱりうまくいったのは自分の言葉を素直に伝えられる彼女のおかげでしたし、普通なら怖くて言えないことをそれでも言ってみせるというのは本当に強いなぁ。

 

彼らの出す結論がほんとうに楽しみです。

12巻、いつ発売するかなー。

ストレス発散に文章を打つと公開したくなるあたり、まだまともだと感じる

僕は心の底から運命というものがあればいいと思う。

それは全ての言い訳にできる言葉のような気がするからである。

例え嘘をついても、人を傷つけても何をしても運命という大きな流れのせいなのだと、そういう言い訳ができる気がしてくるのだ。

 

と言うのは嘘である。大体僕は嘘をつく時にあんまり悪いと思っていないし、後でバレても言い訳しようと思ったり逃げ道を見つけようと思ったりしないのである。「僕が怒られれば済む話だよ」、ということだ。こう言うと誰かを庇っているみたいだけれど。

 

運命があればいいと思うのは、自分の今までの事が全て運命だと思えば、心残りがなくなってくれるからだ。辞書で意味を調べれば大体同じ意味になるけれど、ここで言う心残りとは、後悔とは少し違うものである。そもそも僕は後悔なんて人生で一度もしたことがない。それが誇りだとすら言える。

 

僕は中学三年生の頃、高専を志望した。周りから見ればそれは自らの志願で、少なくとも嫌々高専を目指していたようには見えなかったと思う。

先に行っておくと、別に高専に入ったこと自体をどうこう思っているわけではない。入ったおかげで得ることも多かったし、元々色んな事に関心を持たず、よって興味もない僕には高専の3年間の味気ない勉強に関して文句も殆ど無い。勉強なんてそんなもんだろうと思う。素敵な友人や先輩や教師と出会って高専に入ってよかったと思うことも結構あったし。

 

ただ、なんだかなぁ、と思う。別の言い方では、どうもなんだかあれである。

 

思い返してみれば僕は最初から高専なんて目指していないのだ。だったら何を目指していたかと言えば、何も目指していなかったに違いない。夢はあった。だけど僕は夢は夢でしかないと思い込んでいて、そうなりたいと思ってもそうなろうと努力するべきではないことだと思っていた。実は今でも半分くらい思っている。だから俺は中学の頃の大好きな友人の夢に対して、優しい言葉を掛けられなかった。

ともかくそんな感じで、夢はあるけど目指さず、得意なことはあれど興味はなく、みたいな中途半端な状態で生きていた僕は中学三年生の時、将来のことを真面目に考えてなどいなかった。当時は真面目なつもりだったけれど、今ならわかる、当時の僕は周りの空気に当てられてただけだった。人に影響されやすい僕は、周りの推薦にその気になって、寮生活というものに憧れて、得意なことを好きなことだと思い込んで、流されるように高専を志望したのだった。

今なら当時の自分を批判できるかとも思ったが、これは現在の僕も同じである。元々望みもなく、夢なんて諦めて、技術は欲しいし勉強もするが魅力を感じず、無味乾燥な人生を生きているような僕は、そもそも流されてしかいない。その上で嘘つきの僕はまるで自分の意志で行動しているような顔をして堂々としているんだから、もうこれはどうしようもない。

 

ー別の話ー

 

自分では言い辛いし相変わらず嘘だと思われるだろうけれど、優しいと言われたことがある。ただ僕は自分が誰かに優しくしているのを見ると気持ち悪い。心の中で「うわ、化物が人間に取り入ろうとしてる」とか思ってしまう。自分の行動が他の誰が見るよりも嘘くさく見える。あんまりに自意識過剰だからかもしれない。

 

とにかくそんなんだから、僕は人に絶対同情しないようにしている。結構な確率で行き過ぎて、「不幸ぶりやがって」とかも思うけれど。同情している自分が気持ち悪い上に、同情ってものがどれだけ無意味か知っているからだ。いや寧ろ同情は相手に対しての攻撃ですらある。

親が亡くなったクラスメイトを全員で取り囲んで「大丈夫?」とか心配そうな顔して言いやがったり、話を良く知りもしないくせに「可哀想」とか言っていたり。本気で同情しているんだとしても、それは良いことでは決してない。相手を不快にさせる分かなりの威力がある攻撃である。

相手の悲しい話を聞いて泣く人がいる。それを共感してくれてるんだと嬉しく思う人もいるだろうが、大抵の人はそうは思わないし、例え泣いたからってそいつの話に共感してるとは限らない。雰囲気で泣く奴って言うのは、本当にいる。土下座が一種の暴力であるように、泣いたり相手のために行動するのも、相手に責任をおわすという意味で暴力なのだ。

 

ー別の話ー

 

嘘をついちゃいけないという人がいる。僕は昔から疑問を持っていて、例えばうわさ話をする時に少し誇張して伝えたり、自分の意見を通すために偉い人もそう言っていると言ったりするのは嘘じゃないのかと、そう思うのである。この疑問を数年前クラスメイトにぶつけたとき、「その程度は嘘と考えてないんじゃないか」と答えられた。そのとおりなのか僕には分からないが、しかし僕としては、自分を正当化するための言葉にしか思えない。しかも恐ろしいことに、その正当化は集団で行われているのだ。

 

嘘を付いてはいけない

    ↓

自分達も少しの嘘はつく

    ↓

言っていい嘘と悪い嘘がある

 

こういう正当化が日常的に行われているのだ。ふざけんな。

もっと腹が立つのは、自分は平気で嘘をつくのに人に嘘をつくなと言うやつである。しかもその中には、自分が嘘を付いているとすら自覚していない者もいる。その程度は嘘じゃない、とか無意識でまた正当化しているのだ。

嘘というものがある。人を騙し、自分の意見を通したり、隠し事をしたりするために使われる。だけど僕は、それを使うことは仕方ないと思う。この世には必要悪という便利な言葉があって、それに嘘は当てはまるのだと。だから嘘はいっていい。だけど、嘘をつく人間は、常に自分が嘘をつかれることを許すべきであり、騙されることを覚悟するべきである。嘘は誰だってつくのだ。だったら、嘘はつくけど、仕方ないよねって、そう言えるようにならなければいけないのだ。悪を悪と認めて、お互いに許し合う世界が生まれれば、この世はもうちょっと良くなると思うのである。

 

ま、ひょっとしたら嘘は良くないと言っている奴らの言葉はそれこそ嘘かもしれないと思うと、彼らを否定しきれない。そうだといいな、とか思う。

最近読んでる本<ブギーポップシリーズ>

化物語、翼キャット最終話の副音声にて、阿良々木君が「さて、アニメ化物語はこれでおしまいだし、じゃあ続けて、化け猫とめまいのスキャットを再読しようかな」 という台詞がある。これを最初に聞いたのはずいぶん前なのだけれど、ずっとこの題名がひっかかっていて、なんだか知ってるような気がしたのである。結果的にはおそらく勘違いだったのだけれど、調べてみるとその本は、ブギーポップシリーズというシリーズの一作だったということがわかり、どうやら西尾維新先生の尊敬する方でもあるというので、それじゃあちょっと読んでみようかと一作目、『ブギーポップは笑わない』から読み始めた。

 

これがすごく面白い。群像劇っぽい内容で、一冊の中で、ある物語をあらゆる視点から語られる形式になっている。しかも僕好みなのが、二作目三作目に、前のキャラが少しずつ登場していたり、一作目のシーンが二作目に別の視点で描かれていたりするところもあって、非常にうまいのだ。そういうシーンに感動を覚える僕としては最高の作品である。

 

そもそも僕は群像劇というものが大好きだ。複数のキャラクターの心情を書くということに憧れるし、読者の視点でしか正確に起きていることがわからない、ということにすごく現実味を感じるのだ。

 

まぁこんなふうに紹介してみたけれど、どんな作品も好みというものがあって、あなたに合うかはもちろんわかりません。だからまず読んでみて、自分に合うか確認してみたらどうでしょう。<ブギーポップシリーズ>、ぜひ読んでみてください。

 

ブギーポップは笑わない (電撃文庫 (0231))

ブギーポップは笑わない (電撃文庫 (0231))

 

 

一日を無為に過ごすことに対する恐怖

普段から、僕は一日というものが怖くて仕方がない。

この感覚が分かる人は少ないかもしれないけれど、一日がすぎるたびに、やるべきことができてないんじゃないかと不安になって、怖くなる。

そうならない日はよっぽど濃厚な一日で、やるべきことをいくつもやった日に限るのだけれど、そんなのは一日中勉強した日とかにしか感じたことがないので、そうあるものじゃない。

 

特に今日はひどかった。食事を済ませたあと部屋に戻ると、一体どうしたのか、一気に眠たくなってしまって、倒れるように寝てしまったのだった。かろうじて8時に掛けた目覚ましも効果を発揮せず、9時半まで寝てしまっていた。部屋人は気を使ってくれて、小さい電気しか付けていなかった。申し訳ない。しかも悪いことは続くようで、8時に一度目を覚まして、すぐ二度寝した時、普段見ないような恐ろしい夢を見たのである。怖い夢自体は毎日見ているようなものでも、恐ろしいと感じるのはなかなか無い。ぼんやりした恐怖ではなくて、現実的ではっきりとした恐怖だった。

そんなこんなで一日のうち三時間程を無駄にしたわけである。明日の授業の教科は特に苦手な物づくしで、先に復習しておかないとわからなそうな内容だというのに、その時間をなくしてしまったのである。その上、僕はまだ眠いのだ。どうしようもない。

 

だったらそんなこと書いてないで、勉強しろよという声があるかもしれない。それはその通りなのだけれど、まぁなんだか、久し振りに文章を書きたかったのである。本当は小説を書きたいのだけれど、今書きたい文と内容が食い違ってる。そのまま書くとお話をとしてすら成り立たなくなるので、やっぱり書かなくてよかったのだろう。

 

 

会議

先日、情報処理同好会の集まりがあった。

正式に(?)会長となったため、前に出て自己紹介と今後の活動などについて話し合った。

 

久し振りに人前に立って思ったけれど、やっぱり「まとめる」っていうのは難しいことだなぁ。まぁ難しいことはやりがいがあって、それは素晴らしいことだと思うんだけれど。

それに、今回はちゃんとした準備をしていなかったのも問題だと思う。アンケートを作っただけじゃあ、やっぱり足りないとは思っていたけれど。

 

今後のことをもっと考えないとなぁと思った会議でした。

始めた

ブログを始めた。

思いつきで始めたような、良く考えて事情があって始めたような、そんな感じで始めた。

 

色んな事を経験したいと思っていて、それについて書いていきたいと思っているはず。いや本当に、今年からは色んなことに出向いてみたいな。